源義経伝説

数々の伝説を持っていると言えばなんといっても牛若丸こと源義経ではないでしょうか。
鞍馬の山中で修行し、五条大橋で弁慶と出会い、平家を打ち破り京都に凱旋。
兄、頼朝に叱責され鎌倉に入れず奥州平泉に匿われるが、頼朝の追手に攻められ自害。
その後、約200年経って「義経記」が書かれて人気が出、謡曲幸若舞、歌舞伎などで義経物の作品の中で伝説が生まれた。


伝説 その1
義経が生まれた年に父、源義朝平治の乱で破れ敗死し、兄頼朝は伊豆に流され、義経鞍馬寺で僧として育てられる事になる。
ここで天狗と出会い、鞍馬の山の中を飛び回り体を鍛え、兵法を学んだ、という。


伝説 その2
鞍馬寺で、(天狗ではなく)鬼一法眼の娘と出会い、伝家の兵書「六韜」「三略」を盗み出して学んだとも言われる。


伝説 その3(これが一番有名かも)
いわゆる「橋弁慶伝説」
五条大橋武蔵坊弁慶と出会い、大男の弁慶相手に簡単に勝ってしまう。
実は、最初に出会ったのは五条天神社だとも言われているし、牛若丸が生まれた地の近くにある御所橋だという説もある。
その後、再び出会い、清水寺の舞台で決闘をし、完敗した弁慶が牛若丸に生涯忠誠を誓う。
この伝説は、弁慶が太刀を1000本奪う悲願を立て1000本目で義経と対戦し破れて義経の家来になるというものですが、1000本の太刀を奪うのが義経だという説もあります。



伝説 その4
平家討伐に向かい、摂津一の谷鵯越(ひよどりごえ)で峻険な坂を馬で駈けおり平家の背後をつく作戦で見事成功させた「坂下し伝説」


伝説 その5
檀ノ浦の海戦で敵に追われた時、次々と八艘の舟に飛び移り難を逃れたという「八艘飛び伝説」


伝説 その6
平家を滅亡に追いやり、都に凱旋した義経でしたが、独断で朝廷から任官するなど頼朝の不興を買い、弁解すら許されず追放の身となる。
頼朝は追討の手を緩めず、トコトンまで追い詰め、奥州平泉に逃れた義経を自害にまで追い込みました。
しかし、義経は死なずに蝦夷地まで逃げたという義経北方伝説。


伝説 その7
北方伝説の延長として、蝦夷地から海を越え大陸に渡り、ジンギスカンになったという「義経ジンギスカン説」


伝説 その8
以仁王の令旨で挙兵した源氏の中で、近江で挙兵した山本義経という人物がいる。
元々は近江源氏で、正式には源義経であるため、義経二人説がある。


伝説から生まれた言葉

判官贔屓(ほうがんびいき、はんがんびいき)」という言葉は、義経が大活躍したにも関わらず、些細な事で叱責され非業の死を遂げた義経の生涯は同情を呼び、このような心情を指して「判官贔屓」と言われるようになった。
(判官とは義経が朝廷からもらった役職が「判官」と言われる役職名だった)


鬼一方眼の娘と盗んだ「六韜」のうちの一つ「虎巻」を読んで平家に勝ったので、これを読むと「勝てる!」となり、物事の必勝法を「虎の巻」と言うようになった。


数奇な運命を背負った義経ですが
奇しくも木曽義仲と同じく、幼少の時、父を亡くし、捕らわれの身となり、義仲と同じく31歳で亡くなっている。
義経は義仲より5歳年下でした。)