ふと、京都という土地を考えた

 京都の歴史の中で最も影響を与えた人は誰か?と考えた時

誰を思い浮かべるか?

いつも私は、平安京を造った桓武天皇豊臣秀吉を思い浮かべていた。

しかし、よくよく考えてみると、違うのかな?と思うようになった。

現在の京都を見た時、京都駅を降りたってまず目にするのは巨大な寺院、東本願寺だ。

東本願寺と言えば、江戸幕府を開いた徳川家康が当時、秀吉の命で隠居していた

教如上人に土地を与え、寺を建てさせたのが始まりだという。

この地は、現在の西本願寺の東側に当たる。

少し前の歴史を紐解けば、秀吉が、織田信長によって、解散、蟄居していた

本願寺十一世顕如上人に土地を与え、本願寺を復興させた。

十一世顕如上人が入滅し、秀吉が後継に指名したのは、三男の准如だった。

実は長男は教如なのだが、教如石山合戦織田信長との十年戦争)の時から

過激派で知られていた。

秀吉は過激派の教如を隠居させ、温厚で知られる三男の准如に継がせたと言われている。

京都の地図を見てみると、家康が与えた東本願寺の土地は、京都最大級と言える。

東本願寺の少し東側には飛び地として渉成園東本願寺門主の別邸、隠居所)が

ある。(これは、三代将軍徳川家光が当時の門主、宣如上人に与えた)

他にも家康は、鴨川を渡った東山の麓に、秀吉によって解散させられた紀州根来寺

土地を与え、復興させている。

元は、秀吉が建てた祥雲寺という寺を与えて、さらに周囲にあった秀吉関連の寺院を

増改築して建てたのが今の智積院真言宗智山派総本山)だ。

考えてみると、秀吉によって滅ばされた寺に秀吉の土地を与えるというのは、

すごいことだ。

しかも、家康はもっとすごいことをしている。

智積院の背後にある阿弥陀ケ峰の山頂にあった秀吉の御廟(お墓)を破却し、

跡形なく完全に無くしている。

深読みすれば、智積院は秀吉の祟りを防ぐ抑えなのではないか

と勘ぐってしまう。

家康は、秀吉が造った御土居というモノをほぼ全て壊している。

御土居とは、京の都に敵が入って来れないに、周囲を堤防のようなもので囲んだ

ものをいう)

雑学的にいうと、現在の京都駅の新幹線ホームは、壊されずに残っていた御土居

上に建っていると言われている。

秀吉関連以外でいえば、知恩院か。

家康が浄土宗を信心していた関係で、北側にある天台宗の重要寺院、青蓮院の境内を

削ってまでして、知恩院を拡張し、大寺院にしている。

(この地は、宗祖法然上人が比叡山を降り、最初に草庵を建て自分の思想を広めた地)

今は巨大な三門(知恩院では山門を三門と言う)が人々を圧倒し、

都の方を見ている。

他には、二条城。

場所的には秀吉が建てた聚楽第跡の少し東側にあり、御所の西側に当たる。

南側には、都(平安京)にとって重要な意味を持つ施設である神泉苑がある。

その神泉苑の土地を半分くらい削って建てているのだ。

都の南側に伏見城があるのに、わざわざ二条城を建てている。

他には、豊臣家滅亡後、秀吉が建てた伏見城を破却し、改めて伏見城を建てている。

大坂城も同様に一旦破却し、改めて建てている)

これは「豊臣秀吉完全否定宣言」だ。

裏返せば、それだけ秀吉の人気が高かったと言える。

豊臣の時代は終わり、徳川の時代が来たんだ!

というのを世に知らしめるために出来うる事を全てやった、その証しが

今の京都の姿なのではないか。