言葉について考えてみる。

歴史をひもといて調べていると、ふと思う事がある。
日本人は言葉というツールをどう使いこなしてきたのか?
国が違うと当然、言葉が違う。
厳密に言うと、日本の中でも地域によって少しづつ違ってくる。
日本列島に人が住みはじめて、人が集団で生活をするようになった。
そこに大陸から人が移住してきて、土着の人たちと交わりながら本格的に国の形が出来、争い、そして融合を繰り返しながら国として発展してきたという歴史がある。
人と人が共に暮らしていく上で、言葉はなくてはならない重要なものだ。
歴史を学ぶ時、よく日本人は大陸の文化を学びに行ったとか、大陸から渡来してきた人たちに学んだとも言う。
その時、言葉がうまく通じたのか?
と疑問に思う。
もちろん、通じなければ伝わらないのだから、なんとか通じるように工夫したのだろうが…
しかし、本当に伝えたい事がうまく伝わったのかどうか?は疑問である。
そもそも、昔の日本人はどんな言葉を喋っていたのか?
文献を読めばわかるのだろうか?
研究をされてる方の文献を読ませていただくと、時代によって少しずつ言葉が変わってきたのだという。
中国から漢字を導入されたが、漢字の読み方が「音読み」と「訓読み」の二つある事に気づく。
一般的に「音読み」は中国語の発音をそのままの読み方。
「訓読み」は日本語の発音に漢字を当てはめたものだと言われる。
しかし、司馬遼太郎氏は違う見解だ。
日本の高僧が中国に渡り色々なものを学んだ時に漢字も学び導入した。
「音読み」の時代は、中国が「唐」という国の時代の中国語の発音。
「訓読み」は「宋」という国の時代に導入された。
つまり中国語の発音も時代によって変化しているのだというのだ。
それと、もう一つは中国のどの地域で学んだのか?
という問題もあるのではないかと推察する
(中国でも地域によって言葉が変わるだろう)
どれが正解なのか?
多分、どれも正解なのではないかと思うのだが、導入したモノを日本式に変化させるのが日本人のお家芸
良いモノは全て取り入れて自分たちが使いやすいように変化させてきた日本人は、言葉も様々な地域の言葉を取捨選択して、日本式に変化させてきたというのが正解なのでしょう。
戦後、復興していく段階で欧米は文化が進んでいるという意識が強くなり、外国語がどんどん使われるようになったと同時に、いわゆるカタカナ語も生まれてきた。
和製英語とも言われるが、このあたりが日本人の日本人たるところではないでしょうか。
これからも日本語はどんどんと変化していくでしょうが年齢とともについていくのが大変だというのが正直なところです。