歴史学における仮説について思う‥‥

今、聖徳太子という人物が居たのかどうなのか?
という課題を検証する本を読んでいる。
聖徳太子が実在した人物かどうか?という論説は江戸時代からあったらしい。
論争の是非がどうか、は答えの出しようがない事だと思う。
千年以上前の話を持ち出して実在したかどうか?なんてわかるわけがない。
歴史の真相なんて、正解がない代わりに不正解もないモノだと思うのだが、専門家の方々は自分の説が正しいのだと主張してやまない。

歴史の謎としてよく話題になるのが
本能寺の変
なぜ光秀は信長を討ったのか?
永遠の謎と言えるテーマだと思う。
私は以前、光秀の後ろには黒幕が居て、その黒幕の代行者として光秀は信長を討ったのだと考えていた。
問題はその黒幕が誰か?‥‥
信長が死んで、誰が一番得をしたのか?
それは後継者となった「秀吉」という事になる。
光秀の行動を知っていたからこそ、あの中国大返しが可能だったし、その後の天下取りへの布石を打てたのだと思っていた。
ひょっとしたら家康も一枚噛んでいた可能性も有り得る。
黒幕だからこそ、あの伊賀超えが可能だったともいえる。
(家康にとって誤算だったのは、思ってた以上に素早く、しかも鮮やかに秀吉が主君の敵討ちを完了させてしまった事)
しかし、真相はどうであれ、秀吉(と家康)が得をするだけのために光秀が貧乏クジを引く、なんて事があるわけがないのが筋なのだ。
黒幕説の中で一番理に叶う答えだなと思ったのは、
当時日本で布教活動をしていた
イエズス会黒幕説」
中世のキリスト教の布教活動は世界中に広がっていた。
日本でも布教活動をしていたが思ったほど信者が増えない。
それは実力者である織田信長が首を縦に振らないからだ。
そう考えたイエズス会は、キリスト教に関心のある明智光秀に、ある提案をした。
光秀にとってイエズス会がバックに控えているのは心強かったはず
正解に近い説だと感じたが、何故外国人の言いなりにならなければならないのか?
その理由が見当たらない、とも思うし‥‥

この事件の謎はまだある。
討たれた信長の遺体が見つからなかった事。
光秀は12000の軍勢で本能寺を取り囲んでいたから、逃げ延びた可能性は低い。
本能寺は焼け落ちたからお骨が残らないぐらい焼けてしまったという意見もあるがそれも考えづらい。
もし、逃げ延びたのなら、事件後必ず復讐したはずだし、当然ながら秀吉が天下を取る事はなかった。
もう一つは、天王山の戦いで敗れた光秀が戦場から逃げて行く途中、落ち武者刈りに遭い、呆気なく命を落とした事。
これも普通なら考えられない事だ。
秀吉の軍の関係者にやられたならわかるが、何処の馬の骨ともわからない民衆にやられたというのは普通では考えられない事なのだ。
運が悪かったどころの話ではない。
光秀ファンでなくても、光秀を貶めるために後世に作られた逸話だと思いたい。
そこで出てくるのが、光秀は逃げ延びて、天海大僧正になった説。
これは、家康黒幕説と繋がってくるのと、天海大僧正が謎多き人物だというのが理由だと思われます。
深読みすると、家康は、信長に虐待されていた光秀を助けるつもりで謀反を勧めた。
信長暗殺は成功したが、秀吉があまりにも速く敵討ちに帰ってきたので光秀を保護し、密かに自分の右腕として働かせた‥‥
ちょっと苦しい所も大いにあるのだが‥‥
想像するのは面白い。

ま、何はともあれ、歴史ファンとして謎を解くのは楽しみのひとつであるのは間違いない。